心を病んだから休んだ(病休の話)⑤ ー復職後の話ー
今回は、ストレスで心身を病み
病休をとった私が、
仕事に復帰した話。
病休の予定期間を終えて、精神科クリニックの受診と産業医との面談を経て、仕事に復帰することになりました。
産業医からの指示で、まずは少ない時間から、仕事に復帰することに。
しばらくは働いている同僚を横目に早く帰宅することになるのですが、
頭では、病休をとるような心身の状態なのだから後ろめたさを感じる必要はない
とわかってはいるのですが、中々そう割り切れない。
ただでさえ、長い期間、仕事を負担してもらって、引け目を感じているところに、人よりも楽な仕事を短い時間でやって早く帰るのですから、申し訳ない気持ちがつのります。
そもそも、人に迷惑をかけて、堂々と図々しくしていられるハートの強さを持ち合わせているのなら、心を病んだりなどしていません。
とはいえ、社会復帰直後はとにかく疲れやすい。
長い期間、人とあまり話さずに、家の中や近所の移動だけで運動量も減り、負担の少ないことばかりやっていたのですから、身体と心の体力は減っています。
ちょっとのことでも疲れやすい。
通勤の電車移動や復職の手続き、休みの間にたまった細々としたタスク、顧客との会話でも、弱った心には大きなストレスに感じてしまうのです。
復職してしばらくは、職場に行って、少しの仕事をして、家に帰るだけでも、だいぶ疲れてしまいました。
精神科の先生からもらったアドバイスとして、
細く長くやれるようにやってください
と言われました。
病院中の借りを返すために、頑張りたい気持ちはあったのですが、頭もうまく回らず、身体も疲れてくると胸の圧迫感などの以前あった身体症状がまた現れてきます。
すっかり元気になって復職するということは中々難しいようで、
現実的には、身体症状に付き合いながら、うまく休みながら、少しずつ体力をつけていくことが必要になります。
加えて、ストレスを溜めてしまうような思考の癖を修正していくことが必要になります。
例えば、私の場合、
何か嫌なことが会った時に、0か100かの発想で、世界の終わりのように感じ、死ぬしかないと思い込んでしまったり、何もかも自分のせいだと思い込んでしまうような思考の癖がありました。
このような思考の枠組みを、そのままにしてしまえば、仕事を続けていくうちに、すぐにストレスが限界に達し、また病休を必要とする状態になってしまいます。
カウンセラーさんに、自分の思考を話したり、日記を書くなどして、まずは自分の思考をアウトプットすることが大切です。
そうして、外に出した自分の思考を客観視し、自分にはこういう思考の特徴があるんだな、とまずは認めることは出発点になります。
その思考が、自分の人生にとって役に立つ、プラスになるようなものなら放っておいてもいいのですが、生活を脅かしたり、自身を傷つけてしまうようなら、その思考は改める必要があるでしょう。
病休をとってわかったこと。
それは、自分が病休をとったり、迷惑をかけたりしても周りの人はそこまで気にしていないということ。
まれに何か否定的なことを言う人もいるかもしれませんが、そんな人は10人いたら1〜2人です。
正規分布の原理から言っても、10人いたら6人くらいは自分のことを気にしていなくて、どうでもいいと思っています。
そして、10人に1〜2人は、ちゃんと自分のことを見てくれて、優しい言葉をかけてくれたり、力になってくれます。
実際、自分が病休をとったことを否定的に言ってくる人など、誰もいませんでしたし、
多くの人が優しい気遣いの言葉をかけてくれました。
私は、この病休中に、何度も何度も
「私なんて生きている価値がない」
「私がいない方がみんな幸せになる」
「死んでしまった方が楽かもしれない」
と思いました。
けれど、実際は、私がいなくなって欲しいなんて本気で思い、言葉にする人はいませんでした。
ほとんどの人は私がいてもいなくてもそこまで気にしていないし、何人かは私のことを必要として
くれました。
つまり、
「自分を傷つける最大の敵は自分」
だということです。
私は、誰よりも、私自身に、生きていることを認めて欲しくて、
私に私を好きになって欲しかったんだと思います。
人生なんて自己満足です。
誰かのために生きるとか
誰かが求めたり、期待するから何かをするとか
そういうものじゃない気がします。
自分が自分を満足させる何かを
日々の中で行い、
その積み重ねが
人生になるのだと思います。
こんな風に思えたのも
悩むだけ悩んで
落ち込むだけ落ち込んで
休むだけ休んだから
だと思います。
自分に生じるどんな感情も
どんな思考も
ちゃんと認めてあげましょう。
そして、身体が発するサインも
ちゃんと聞いてあげましょう。
動きたかったら動いたらいい。
休みたかったら休めばいい。
なるべく自然体に。
なるべく等身大に生きていけたら。