Life日記

Life【生活、人生、命】に関わる私見をつれづれなるままに書きます。医療従事者。子育て中。

【随筆】幸せのとらえ方~書籍「サピエンス全史」を読んで考えたこと~

幸せの定義は人によって違う

ある人はお金持ちになったときに
ある人は役職や肩書きを手に入れたときに
ある人は人に称賛されたときに
ある人は人との関わりの中に
ある人は自然との調和を感じたときに
ある人は芸術的な高みに達したときに

人と幸せの感じ方が異なるのは自然なことだ

視力や聴覚などの感覚器の解像度は人によって違う

物事を判断する基準はその人の経験の蓄積から形づくられているが、してきた経験は人によって大きく異なる

同じ侵襲を加えられたときの痛みの感じ方も
人それぞれだ(同じ圧力で、同じサイズの傷でも痛みを10点満点で答えてもらったときの回答は人によって違う)

なのでみんなが同じ目標で、同じことに幸せを感じる必要はないと思う

そんな当たり前のことを普段の生活では忘れてしまい、すぐ近くで働いている人や同期が何をしているかすぐ気になってしまう
まったく意味がないことなのに


また、
その人の人生の中心においている価値観や
目標の高さ(かける時間や期待値)によって
幸せの感じ方は変わる

ある野球部員は、弱小校に所属し野球の他にもマンガや勉強など楽しいことがいくつもあり、それらに時間をかけたい
自分は地方大会の一回戦で勝てたら幸せだと感じている

ある強豪校の野球部員は甲子園で準優勝したが決勝戦で勝てなかったことに死ぬほど悔しいと感じている

登山と同じで登りたい山は人それぞれだ
誰もがエベレストに登りたい訳ではない
高尾山を登りたい人はそこに幸せを見出す

高い目標を立てるのは悪いことではない

しかし、目標に向かっている途中の、今この瞬間が幸せでなければどうだろう
普段の生活を苦しみながら過ごし、幸せ度が常に2点の人は、目標達成時は10点に感じるかもしれないが、しばらく立つと、また2点に感じてしまうかもしれない(幸せの感じ方はエアコンの設定温度と同じで変動があっても基準の点に戻るともいわれている)

目標に向かっているその過程を
常に幸せ度8点くらいに感じ続けているひとの方が
人生における幸せの総量は大きいかもしれない

「周りに比べて自分がどう幸せか」という相対的な幸せではなく
「自分が何に幸せを感じるか」という絶対的な幸せを大事に
今この瞬間に幸せを感じながら生きていこうと思った